『三文小説(KingGnu)』の歌詞考察_評価の視線と女性蔑視について

この記事では、テレビドラマ『35歳の少女』の主題歌として話題のKing Gnuさんの『三文小説』(さんもんしょうせつ)の歌詞の考察をしています。

『三文小説』

  • 作詞・作曲:常田大希
  • 唄:King Gnu
  • リリース日:2020年12月2日

歌詞の全文はこちらの「うたまっぷ.com」で見ることができます。

『三文小説』の歌詞考察

1.この歌詞は美しい物語なんかじゃない

あの頃の輝きが
息を潜めたとしても
随分老けたねって
明日も隣で笑うから

悲しまないで良いんだよ
そのままの君が良いんだよ
過ぎゆく秒針を隣で数えながら

(歌詞の意味の解釈の自由度が低い部分を引用しました。)

『三文小説』の歌詞を絶賛している人たちは、おおかた次のように解釈しているのではないでしょうか。

  • 「あの頃の輝きが 息を潜めたとしても」→若さがなくなったとしても。
  • 「随分老けたねって 明日も隣で笑うから」→僕は君の隣にいるよ。
  • 「悲しまないんで良いんだよ そのままの君で良いんだよ」→年齢を重ねることに悲しまなくていいんだよ。
  • 「過ぎゆく秒針を隣で数えながら」→年齢を重ねる君のそばにいるよ。

「君が年齢を重ねても、ずっと僕はそばにいるから」という美しい物語として、意味を捉えている人が多いのではないかと思います。

しかしながら、この『三文小説』の歌詞は、美しい物語ではありません。

この歌詞には、「若さの価値」「評価する側・される側」といった女性蔑視に関連している問題が含まれています。

2.どこか・どんなふうに女性蔑視に関連しているのか

あの頃の輝きが
息を潜めたとしても
随分老けたねって
明日も隣で笑うから

悲しまないで良いんだよ
そのままの君が良いんだよ
過ぎゆく秒針を隣で数えながら

まず、「あの頃の輝きが息を潜めたとしても」「そのままの君が良いんだよ」という部分によって、「悲しまないで良いんだよ」の意味が限定され、「若さがなくなっても、悲しまないでいい」という意味になります。

『君』は、もしかしたら「若さが失われていくことを悲しんでいる」のかもしれません。

しかしながら、この歌詞の作詞者である常田大希さんは、この曲がリリースされた2020年、20代です。常田さんが80才とかであれば想い人も80才だとして「実体験なんだな、想い人が若さを失うことに悲しんでいるんだな」と思いますが、20代という年齢からしてみても実体験ではなく、想像でしょう。

なぜ「女性(君)が年齢を重ねることを悲しむ」と思っているのでしょうか。

たしかに怯えたり、悲しんだりしているように見えるのかもしれません。しかし、女性たちが本当に怯えているのは、年齢を重ねることではないのです。

女性たちが本当に怯えているのは、社会にいる人々の目です。

例えば、顧客に商品を買わせるために「−5才若みえメイク」のようなフレーズを使用した広告を出している企業もあります。そういうことに「女性は若くいるべきだ」「女性の若さには価値がある」と私たちは刷り込まれています。

刷り込まれていなければ、歌詞の「あの頃の輝き」という発想にはならないでしょう。人生の過程の一部だけにほかの部分よりも「価値が高い」なんていう発想は非人道的です。

社会のなかでメディアなどに刷り込まれていることにも気づかずに、「女性は若さを失うことに悲しむと思い込む」。ただの自惚れでしかありません。

また、この歌の歌い手である『僕』は、君と同じく年齢を重ねているはずなのに、聴いている私たちが『僕』が年齢を重ねていることを感じられないのは、なぜでしょう。

それは、社会での風潮が、男性は評価する側で、女性は勝手に評価される側であるからです。男性は見る側で、女性は見られる側とも言えます。

ピンとこない人は、女性が会社でパンプスを履くことを強要されていること・お化粧をすることをマナーとされていることをイメージしてみてください。そのとき、女性は見られる側ですよね。

こちらの記事も参考に。【独自調査】職場のパンプス強要、6割が「ある」。メガネや髪の色まで規定した”ブラック社則も”(最終閲覧日2020.12.04)

話を戻します。『三文小説』の歌詞のなかの『僕』は評価する側・見る側に居座っているから(性別ではなく自分の選択の結果です)、聞き手は『僕』が年齢を重ねているのを感じません。

『僕』は女性を励ましているように見せかけて、女性に評価の視線を向け、そのうえで「悲しまないんでいんだよ」と言っているということです。

評価の視線を向けること自体が、女性蔑視であることにも、気づかずに。

3.吉田山田『日々』の歌詞と比較すると明らか

さきほど説明した問題点は、吉田山田さんの『日々』と比較してみると、より明らかになります。

おじいさんはおばあさんと
目を合わせあまりしゃべらない
寄り添ってきた月日の中
ただ幸せばかりじゃなかったんだ
分厚いガラスメガネ 手のひらのシワ
写真には写らない思い出
笑い出す2人
出逢った日 恋に気づいた日
結婚した日 別れたいと思った日
子どもを抱いた日 手を離れた日
溢れる涙よ これは幸せな日々

※歌詞の全文は「うたまっぷ.com」に載っています。

この『日々』という歌の歌詞は、物語のなかの2人とも、年を重ねています。

最後に

King Gnuさんの「King Gnu official YouTube channel」の『三文小説』のコメント欄に絶賛コメントが溢れていることは、それだけこの社会に、「男性は見る側で、女性は見られる側」といった女性蔑視があることを示しています。

この記事は、誰かを論破するために書いたわけではありません。もし、「ここの部分こじつけになってるよ」など思ったことがありましたら、zyousikienogimon@gmail.comにメールをしていただけると幸いです。